ぐりぼー、高校受験失敗してるんですよ。
急にどした?ということですが、こちらのお題を受けて、自分はどうだったかな…と。
思い当たる節についての昔話。
そう、高校落ちて滑り止めの高校行きました。そこでもかなり楽しい高校生活でしたが、中学の友人の多くが第一志望だった高校へ進む中、天邪鬼な自分の中に、なんか人と同じことしててもな…の気持ちがあったのでしょう。
で、留学しました。
この約1年の留学しているときに、
「自己との対話」と「言語化」に時間を費やした自覚があるのです。
留学中はホストファミリーの家に暮らし、地元の学校に通いました。周りはみんな、背の高い、金髪の美男美女に囲まれる中、朝にふと鏡を見ると黒髪のちっこい日本人の自分がいて、ハッ!とすること数え切れず。
自分がどんな人間かもまだ分からない15-16歳の多感な青少年時代のぐりぼーは、異国の地で色んなことを感じたり、ぐにぐに色々考えたりしてました。
色々感じて考えてましたが、その中の大きなひとつの結論は、
「自分はちっぽけな存在だけど、周りの存在があってありがたく生きていけるんだなぁ」
「そんな自分だけど、周りにとってもかけがえのない存在なのだ!(そうあろう!)」
ということでした。(ふたつあるじゃん!)
で、そこがベースとなり、
どんなことがあっても(失敗や不都合があっても)
「なんとかなるさ!」
につながっています。
うちのホストファザーが大好きで四六時中口ずさんでた
🎶 Don't worry, Be happy. 🎶
って歌も関係あんのかな〜。
で、「言語化」の方ですが、
手紙書いてました。日本語で。(ん?)
考えたことを拙い他の言語では周りに話せなかったこともあったのですが、今見たら引くくらいの量を手紙の形で母親や同時期に他国にいた留学仲間へと、夜な夜なせっせと文字に書き連ねてました。
えぇ、日本語で。(なんのための留学か?)
でも、今となっては、その時期に、その環境に居られたことで自分の核ができた気もするので、良かったかなーと。
その自分の核は、やっばり
「自己との対話」と「言語化」で作れたんだなぁ、と思います。
で、息子達にも、同じように自分と向き合える時間と環境をあげられたらな…と思ってやって来ました。だから、高校になったら留学してもらいたいな…と朧気に思ってました。
が、
それを標榜としてる塾があるぢゃん!
「自己との対話」と「言語化」ってはっきりブログに書いてて、学歴とかでなく、
それが出来ればいいのだ!生きていけるのだ!って言ってるぢゃん!
(ん?ちょっと語弊があるかな?そこまで言ってないか?)
自分の息子たちに、親もできているか不安になる、目を見て向き合ってくれてる大人がまわりにどれだけいるか。
それを塾でやってるなんて…。
発見した時は衝撃でした。
いや、存在は知ってましたよ。でも、前通ると
「爆裂!」
とか書いてあって、表に
〇〇中学年1位、△△中学年1位
とかデカデカと貼ってあって、そんな塾だとは思わなかったもん!!
すぐ入れよう、やれ入れよう!と動きましたが、
長男君は本人の意志を尊重した結果、入塾が1年遅れての入塾となったのですが。
でも、それもまた人生!
あれ?なんの話だったっけ?
いつの間にか松江塾の宣伝っぽくなってない?